社会構造を決定するのはときに少数派

ときに少数派の意見が社会構造を決定する、という話。

元記事は、例外的な行動を取るごく一部の人間(=クズ)が社会構造に影響を与えている、だから、よりよい社会のヴィジョンを描くときにはこの一部の人間をよく見極め考慮しなければならない、と結んでいます。

はてブコメントを見ると、記事の前半だけ読んで釣られている人が散見されます。
「クズ」という単語に釣られたのだと思いますが、なぜこのようなミスリードを生んだのかと考えると、潜在的に「社会には邪魔なクズがいる」という鬱憤を持ち、かつそこで思考停止してしまう人が多いのかもしれません。

よりよい社会のヴィジョンを描くとき、この「最低最悪のクズ」が社会に対して持つ構造決定力を無視して理想論をいくら語っても、それはただの夢想に留まる。

これを嘆きと捉えるか、先に進むための前提と捉えるか。

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